英語を英語で教えることの危うさ(2)

(前回の続きです。先に「英語を英語で教えることの危うさ(1)」をお読みください)

何のために英語を学ぶか

 そもそも、英語教育の目的を「グローバル化に対応すること」として良いものでしょうか。「将来使うから」という意義づけは端的でわかりやすいですが、同時に極めて脆いものです。「私は生涯日本人とだけ関わって暮らす。だから英語はいらない」と言われると、返事のしようがなくなってしまいます。

 私は、外国語教育の意義は異なる文化を理解すること、そして異なる視点から母国の文化を理解できるようになることだと考えております。直接は関わらないけれど、世の中には自分とは全く異なる文法で、自分の知らないロジックで考える人たちがいる。彼らから見た日本は、私たちから見えている日本とはどこか違う。これらの事実を知ることこそが、日本人にとっての英語教育の最大の恩恵ではないでしょうか。

 そしてその恩恵を享受するのは、なにも私のような日本語大好き人間だけではありません。

故郷を知ること、自分を知ること

 少し個人的な話をします。私は中学校卒業までを秋田県で過ごし、高校入学から香川県に引っ越しています。当時は新しい環境に馴染めるかどうか不安で、引っ越す前から香川県について色々と調べていました。主に方言(讃岐弁などと呼ばれます)についてです。

 ところが、いざ高校へいってみるとどうでしょう。新しい友人たちが私と話すとき、彼らが一様に興味を持っていたのは、もっぱら「秋田弁」のことでした。私は故郷のことを彼らにうまく紹介できず、随分と恥ずかしい思いをしました。

 日本の子供が幼いころから英語の教育を受け、大人になって晴れてグローバルな舞台に出たとき、彼らは世界の人たちからもれなく「日本人」として見られます。新しい友人とまず英語で話す内容は、アメリカの歴史ではなく日本の歴史であるはずです。グローバルなマーケットにおいて「英語」なんてものは誰でも持っている価値の低いものです。むしろ欧米の人々から見れば、日本人の日本的な部分こそが目新しく、価値あるもののように映るのではないでしょうか。

 このような理由で、英語教育というものは一定水準以上の日本語習得がなされた上で行われるべき、というのが私の考えです。もちろん、中には日本語も英語も同時に習得できる稀有な能力を持つ子どもさんもいるでしょうから、そういった方々には是非とも将来国際舞台で活躍していただきたい。そのための教育機関は現在の日本にも決して存在しないわけではないのです。あくまでボトムアップのレベルでは、むしろ日本語教育の方が重要ではないか、というのが今回の話です。

 英語を日本語で教えることは何も後進的なことではありません。学生の皆さんには、英語学習を通して日本語と英語の違い、ひいては日本と諸外国との文化の違いをじっくりと味わい、楽しんでいただきたいと思います。

 長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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