英語を英語で教えることの危うさ(1)

 こんにちは。フジグラン丸亀校の村上です。

 文科省発表の「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」によると、中学校の英語の授業について、「授業を英語で行うことを基本とする」という方針が示されています。恥ずかしながら今の今まで気が付かなかった、というか無視してきたこの内容ですが、最近少し思うところがありましたのでお話させていただきます。

英語を英語で教えられるか

 さて、この「授業を英語で行うこと」ですが、授業中の生徒同士のやりとりから先生との質疑応答に至るまで、全て英語でコミュニケーションすることが想定されているようです。「英語を英語で教える」という、なんだか矛盾した話のようにも聞こえます。実際、中学校の授業から突然全て英語に変えたところで、おそらくまともに学習できる生徒はいません。ではどうするかというと、子供たちは小学校卒業までに、ある程度英語でコミュニケーションできるまでの学習と訓練をしなければなりません。「英語を英語で教える」の意味するところは、つまり「英語教育の低学年化」です。そんなものは英会話教室などで昔からあったではないか、と思うかもしれませんが、これを自治体を上げて、公立の小中学校で行うとなるとまた話が変わってきます。

英語が難しく感じるのは、日本人だから

 こういった動きは、諸外国の対応に影響されているのではないか、とも考えられます。「中国では〇歳から誰もが英語を習得している」などとメディアで取り上げられますけれども、これは決して、日本人の能力が低いとか、日本の教育が遅れているという事とは結び付きません。

 「登山」などの漢語をよく見てみてください。中国語では動詞のあとに目的語を書くことがわかります(書き下し文は「山ニ登ル」です)。これは英語の語順と一緒です。中国語の文法は英語の文法と比較的近いのです。ところが日本語はそうもいきません。英語と日本語では、語順がことごとく違います。日本語の構造上、日本人の英語習得が遅れるのは自然なことなのです。

そもそも日本語が難しい

 私が英語を教えていて実感するのは、他でもない日本語の難しさです。日本語では「かな」と漢字を使い分けます。「かな」は表音文字、漢字は表意文字です。解剖学者の養老孟司先生によると、この両者を理解するのに用いる脳の領域は別だそうです。日本語はこれらを同時に処理することを求めます。こういった言語は世界でもあまり例がないそうです(韓国語は日本語と文法が似ていますが、ここ数年で表音文字のハングル主体になり、漢字を捨てたと揶揄されて久しいですね)。

 そんな日本語ですから、子供たちが習得するのにもそれなりの時間と手間がかかります。子供たちの能力の幅も様々ですから、初等教育に英語を取り入れすぎると、日本語も英語も中途半端にしか扱えない、意思疎通の難しい子供がたくさん現れるのではないか、と心配になるわけです。

(後半へ続く)

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