猫と喫茶店

 8年程前のことです。

 私は会社の帰りに、途中にある公園に立ち寄って、ベンチで缶コーヒーを飲んでいました。

その時は仕事でミスが続き、ひどく落ち込んでいたのを覚えています。

 すっかり日も沈んだ頃、どこからか1匹の猫が私の方へ近づいてきました。随分と人馴れしているようで、私の足のまわりをくるくる回ったり、体を寄せてきたりしました。しばらくそんなふれあいをした後、その猫が立ち去ろうとしたのですが、どうも様子が変なのです。少し歩いては立ち止まってこちらを振り返り、また少し歩いては立ち止まる、ということを繰り返していました。私にはそれが、まるで「ついてこい」と言っているような気がしてならなかったのです。自分でもおかしなことをしていると思いながらも、私はその猫についていくことにしました。

 公園の花壇をまたいで、さらに少し歩いたところで、猫が立ち止まりました。見上げるとそこには、1件の古びた喫茶店がありました。多少躊躇しましたが、せっかくここまで来たのだからと思い、その店に入ってみました。

 「この猫が(扉を)開けてほしそうにしていたので」などと訳の分からないことを言いながら喫茶店に入ると、ひとりの老婦人が迎えてくれました。そのお店は夫婦で経営していたお店ですが、ご主人に先立たれてからは彼女がひとりで切り盛りしていたそうです。野良猫に餌をあげたところすっかりなついて住み着いてしまい、今では子どももいる、と言って、奥で眠っていた5匹の子猫を見せてくれました。私を導いたあの猫は、5匹の母親だったのです。

 そう思うと、あの猫の行動にも納得がいきます。喫茶店にくるお客さんが増えれば自分たちが貰えるごはんも増える、ごはんが増えれば子どもが育つ・・・。果たしてその猫がそこまで考えていたかどうかは定かではありませんが、結果として私は、まんまとその喫茶店のお客さんになってしまいました。

 猫というものは意外とたくましい生き物なのだな、と一瞬思いかけましたが、ふと気が付いて首を横に振りました。あの猫がたくましいのは、猫だからではなく、母親だからなのではないか、と。そんな妄想のような、期待のようなものを抱きながら、転勤までの3カ月程、私は毎週その喫茶店に足を運び、時折、母親というものに思いを馳せておりました。

 皆さん、最近、親孝行していますか?

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