なぜ入試で小説を読まなくてはいけないのか?

こんにちは。東進フジグラン丸亀校の村上です。

 先日、高校入試対策の国語の問題を解いていたら、小説に出てくる主人公に随分共感して、目頭が熱くなってしまいました。こんな事は学生時代はなかった事です。

 思えば、学生時代の私は小説の問題が大嫌いでした。そもそも小説を読むという行為自体は娯楽であって、学生に対して強制すべきものではないのではないか、などと考えておりましたから。

今回は、学生が小説を読むことの意義について、私が最近思っていることを述べさせていただきます。

                                      

 「この時の太郎君の気持ちを答えよ。」

 こんな経験はないでしょうか?

 いつもはそこそこ点が取れる小説の問題が、今回の模試だけ何故か全く意味が分からない。でも友達の中にはよくわかったという人がいて、この間の溝がなかなか埋まらない。

 こういった経験を通して、「小説なんて相性だ」とか、「この時の太郎君ないし花子さんの気持ちがわかったところで、自分に何の益があるのか」などと思うかもしれません。

 ですが、仮にそれが、小説の主人公ではなく、あなたの友達や先輩だったらどうですか?彼らの気持ちがわからない場合、単なる相性では済まされない、実質的なトラブルが迫ってくると思いませんか?また、社会に出て、職場の同僚や上司等、避けようのない人間関係があなたの前に立ちはだかった時、そこに理解できない人が居たら大変だと思いませんか?

                     

 理解できない、しかし確実に存在する他者

 小説を読んで「理解できない」という経験ができたあなたは幸運です。何故ならあなたは、自分には理解できない他者が存在するという事実を、決して自分が傷つかない位置から認識することができたのですから。

 冒頭にお話したように、今はわからなくとも歳を重ねてくると初めて共感できる世界もあります。それはつまり、今あなたの前で、およそ理解しがたい心情を有している太郎君ないし花子さんは、あなたが将来出会うかもしれない人のひとりであり、ひいてはあなたが将来成っているかもしれない自分の姿のひとつなのです。

           

それでも、理解しようとすること

 他者の気持ちを理解する、わからずとも推し量る、という訓練は大人になる上で非常に重要な成長過程です。小説というのは、限られた人間関係の中で生活をしている学生にとって、多種多様な「他者」を提供してくれる優秀な教材と言えます。それらは決して無駄にならないし、将来にわたってあなたを陰から支えてくれるでしょう。

  

 さて、公立高校入試まであとわずかとなりました。皆さんの努力は決して無駄にはなりません。気持ちで負けないようにしたいものですね。

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